【読書】水中の哲学者たち 

本日はこの本を読んで印象にのこった文面をご紹介します。

新しい自分に出会った感じがあります。

わたしの硬直してしまった信念を誰かがあっけなく壊してしまう。こわくて、危なくて、嬉しくて、気持ちがいい。どきどきしながらも、素肌に風が当たるかのような感触がある。わたしは、世界に身ひとつで佇まざるを得ない。だが、そんなわたしが、わたしであることを確認することができるのもまた、他者の言葉によってなのである。

P40

他者の言葉によって自分は壊され、確認され、再構築される。私も似たような感覚に出会っていたが、とても文字・言葉で表現できなかった。その表現をしてくれる方がこの世界にいてくれる、これは奇跡ですよね。感動しました。

ひとはときに、周りはみんな同じで、みんなわかりあっていて、共感していて、自分だけがそこに馴染めないと思っている。だが本当は、世界は曖昧で、不確実で、複雑で、そこにひとびとは、なんだかんださみしかったりわからなかったりイライラしたり笑ったりしながら、生きている。「わたしだけ」がこの世には無数にあって、それぞれさみしくて、バラバラで、めちゃめちゃで、そういう意味でわたしたちは、平等である。

P59

この世はエントロピーでできている。みんな違ってみんないいと思えたらいいけど、なかなかそうはならない現実もあるよね。ひっくるめて、認めながら、少しでも前にすすめたら良いな。

平沢進師匠の歌にエントロピーって連呼する歌があったな。

対話は言葉を交わすこと・考えを交わすことでもあるが、同時にわたしを眺めることでもある。余計な飾り付けを外して、わたしの手触りを確かめること。それがもしかしたら、わたしを「引き受けること」なのかもしれない。引き受けることは、黙って飲み込むこととは違う。わたしがわたしであること、なぜだかわたし降り掛かっている何かを、目の前におき、できるだけ生のままで、手触りを確かめることだ。口の中で、雨の方にを確かめるみたいに、性急に「答え」を急いだりせずに。

P78

他者は自分の鏡。投影として現れる。他者の言葉により、自分の輪郭がぼんやりと浮かび上がる。

しかしわたしというものはゆらぐ。雲のように。

どんより重苦しい黒い雨雲になったり、さわやかな綿雲になったり。

自分というものには答えはない。

嫌いなところがたくさんあっても、自分に烙印を押さない。

ネガティブケイパビリティって大切なのかな。

永井さんの本は私が感じてきたモヤモヤを表現してくれている。

言葉の力ってすごい。

そう思うことができた。

興味があればぜひ読んでみてください。

ありがとうございました。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA