アダルトチルドレンと依存について

アダルトチルドレンは依存に走りやすい

アダルトチルドレンとは。

幼少期に、家庭にてなんらかのトラウマによって傷つき、そのままおとなになった人たちのこと。

あるがままでいられる、安心な場所を提供されずに幼少期を過ごした人たちのこと。

親も完璧な人間ではないので、程度には差があれ、トラウマを受けた人は多いのではないかと、僕は考えています。

そんな方々は、無償の愛を受け取れていないので、ありのままの自分を認められず育っている。

すると、自分に自身がないため、依存に走りやすい。

アダルトチルドレン(以下、ACと略します)は

「~しなければならない」「~してはダメだ」「こんなこともできない僕はなんてダメなんだ」

矯正やタブーに縛られたり、自分を傷つける言葉を容易に作る。

自己否定の底なし沼にハマってしまう。

以前の記事でも述べたが、負のループへ陥ってしまう。

自己否定の底なし沼から抜け出すには

どうしたらよいか。

大事なことなので、繰り返しますが、

まずはありのままの自分を認めること

これからはじまる。

「本当は自分には力があるのだ」という、力の自覚を獲得し、得た力を用いて「新たな関係を作り出すこと」ができるようになる必要がある。…

すべての罪悪感は無用です P126 扶桑社 斎藤学

親から植え付けられた、自己否定の信念を、否定する。

自分には力があり、行為・物質に依存しなくても、そのままで認められる価値がある。

そのように信じることで、先が開ける人がいる。

あなたもぜひ自分自身を認めてやってください。

インナーチャイルドがとても喜びます。

依存は悪いことなのか

寂しさを埋めるための人間関係や、アルコールや買い物を一度ちょっと断って、自分を空白にした時に、本当の「出会い」がやってくる。

すべての罪悪感は無用です P138 扶桑社 斎藤学

依存することは悪いことなのか。

そう言い切れない側面がある。

依存する人にとっては、生存するためにしている可能性がある。

生きづらさを、アルコールや人間関係に依存することで、なんとか間に合わしている。

それを強制的に取り上げることは、イネイブリングである。

依存行為は、

健康を害したり、他のことができなくなることが問題である。

また、はじめは軽い行為で出ていたドパミンが出にくくなり、どんどん強度を求めるが、限界がある。

結果的に、満たされない。

また自分の信念次第で無限に広がるはずの世の中を、知ることができない。

人生の損をしている。

依存真っ最中の本人に強要しても解決にならない。

あくまで本人が困り、変えたいと考えることが大事で、

その時に援助ができる環境があることが大事。

自分が無力と認める、メタ認知

依存症の前では、自分が無力と認める。ハイヤーパワーが配慮してくれ、正気に戻してくれるとゆだねる決断をする。

すべての罪悪感は無用です P160 扶桑社 斎藤学

別れる、離婚だと大騒ぎしていたが、「別れなくてもやり直せるのではないか」とか、逆に「やはりここは別れて自立したほうがいいだろうな」と判断できる。

すべての罪悪感は無用です P172 扶桑社 斎藤学

依存から綺麗サッパリ抜け出せる人は少ない。

再発など、紆余曲折を得ることが多いという。

頑張りすぎて、「~しなければならない」と強制が起こると、しんどい。

再発したときに、さらなる沼の奥底に沈む。

ここで、俯瞰してみることが大事。

例えばアルコール依存の人に関しては、

「酒をやめてもいいし、やめなくてもいい。今まで酒に苦しんだ分も振り返った上で、自分が決めていい。」

自分が選択できる権利がある。

自己決定していいと考えられる。

それぐらいの考え方のほうがよい。

依存に苦しむ人にヒントになれば幸いです。

以下、参考文献です。

では、また。

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