回避性愛着障害①からのつづき。
過剰に支配されて育った回避型の人は、また別の意味で、責任や負担が増えることに抵抗感を覚える。
このタイプの人にとって人生は、鞭をふるわれ、かけ続けてきた馬車馬のそれのようなものである。
子供時代が終わるころには、やらされることに飽き飽きしている。
だから、自分のやりたいことがわからない、という人が多い。
人生が楽しくない。
自分の意思を封印してきて、なんとか生きてきた人たちなのである。
また、母親は自分の一部扱いとなり、愛着形成には最重要であるが、
父親は最初に出会う他者であり、他者との関係の成立に大きく関わっている。
・・・父親との関係が希薄だったり、父親が抑圧的な存在であったりすると、父親に対して抱く居心地の悪さや恐怖心が、他人対するそれへと変化して、後々まで尾を引いてしまうのである。
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私と父親との関係において、まったくもって当てはまる。
父とは仕事の関係で、小学校3年間ほとんど会えなかったことがある。またそれ以外の幼少期-学童期も、単身赴任で週末しか帰ってこない状況であった。
しかもフレンドリーな、優しいタイプではなく、厳格で指示的な父であった。
母親ともいつも喧嘩してばかりであった。家どころかマックやモスで人の目も憚らずに大喧嘩するのである。
母は父だけでなく、他人にも否定的に当たる人であった。「~さんちったらひどいのよ、すれちがっても挨拶もしないで」「あそこの家庭は○○だから、あんまり関わるんじゃないよ」
祖父は物心付いたときにはすでに他界しており、祖母とも疎遠であった。
私にとって頼る人は母しかいなかったのだ。
その母が他者を信じない。どうして自分と他者を信じられる私が形成されようか。
今思うと母も同様にして、成長期に愛着の健全な形成がなされなかったのだろう。
親は親のナラティブがある。
俯瞰して見れると、心を整理していける。
愛着障害は世代を超えて、負のループになる。
これが人々の苦しみのもとの一部になっている。
その可能性がある人には、一人でも多く知ってもらいたい概念である。
しっかり振り返ることが、生きづらさから回復するための第一歩となる。
ともに負の連鎖から抜け出そう。
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