生い立ちについて①

はじめに

どうして私がこのブログを書こうと思ったのか。

なぜ生きづらい自分に気づき、それをどうにかしようと思えたのか。

自分自身の人生を振り返り、数回に分けてご紹介しようと思います。

両親の喧嘩

私の両親は物心を覚えたときから常に喧嘩をしていました。

家の中にとどまらず、車の運転中、なんとレストランでも周りの人の目を引くくらいに大声で喧嘩をしていました。

それもしょっちゅう。

たいてい母スタートで、母が気に入らないことがあるとそれを父に問い詰めていく。

「あなたはいつも自分の仕事ばかり」「家のことをまったくしないじゃない。わたしがどれだけ苦労していると思っているの」「A(ブログ管理人のことです)をここまで立派に育てたのはわたし。もっと感謝してよ。」「なんでありがとうといえないの」

単身赴任の医師である、父に対する不満が次から次へと出てくるのです。

その時その時で反応しても意味なく、エスカレートして感情があらぶり、静止不可能に。

子供としてもちろん仲介に入るのですが、効果なし。

母は「私がおかしいんじゃない。この人が悪いのよ。」と取り合ってくれず。

他のお客さんから向けられる視線を感じるたびに、それはもう恥ずかしくて。

あまりにも辛くて店から飛び出たことも、何度もありました。

これを書いている現在の自分も、振り返るだけでつらいものがあります。

こども心に、どうして喧嘩ばかりするのだろうと、しょっちゅう悲しくなっていました。

当時の自分は、友人の家に遊びに行くときに感じた友人の家族の雰囲気の良さと比較して、「どうして自分の親はこうなのだろう?」と思った記憶があります。

いわゆる毒親なのですが、今考えてみると、母自身も母の両親から求めていた愛情をしっかりもらえなかった過去があったのでしょう。

愛着障害は連鎖するのが本当に厄介です。

父と母の対立から、その二人の間に生まれた自分という存在は受け入れられないもの、いらないものじゃないかと思うようになりました。

私自身の欲求はこころの奥底へ押し込み、「いい子」を演じるようになりました。

とりあえず母にいわれた通りに勉強を頑張り、「母の思う」良い学校に入学し、良い職業につく。

母の人生を生きていたのです。

そりゃ、熱々の鍋に無理やり蓋をするようなもので、こころの内圧が高まっていくわけだ。

読んでいただいている方にも、似たような経験はあるでしょうか。

雪山では心が洗われます

読者の皆さんへのおすすめ

なんとなく、自分に生きづらさがあるな

と気づけたときは、チャンスです。

自分が何者であるか、とことん知りに行きましょう。

具体例としては、今回のように自分の人生、特に幼少期の生い立ちを振り返ってみると良いです。

「あのときの自分はこんなことがあってつらかったな・嫌だったな」「もっとこうしたかったな」

こんな素直なメッセージが出てきたら、素直に受け止めてあげましょう。

自分が心の奥底に押し込んでいた、本当の自分の気持ちかもしれません。

振り返るときは、紙に書き出すと効果的です。視覚を使うことにより、思考がまとまりやすくなると思います。

今回はここまで。

また時を分けて、ご紹介できればと思います。

お読みいただき、ありがとうございました。

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