奈良公園

盧遮那仏=自分?

週末は奈良観光へ行ってきました。

「奈良といえば、奈良漬け」

奈良に関しては、のび太並の知識しかなかった筆者ですが、

今回始めて奈良に観光しにいくことに。

奈良に行くからには大仏様に会いに行くしかない。

歴史空間好きな筆者は奈良公園に向かいました。

はむはむの集中砲火

普通に鹿いるのね。

いや話には聞いてたけどこんなに堂々とみられるとは、、全然逃げないのね、

せんべいを持つ観光客を追い回したり、観光客に混じって道路を横断したり、

この光景は奈良だけでしょうね。

東大寺大仏殿

大仏様は予想以上の圧倒的スケールでした。

自分が気になったのは手の形です。

あれは印相と呼ばれるようで、ジェスチャーの一種とか。

右手は施無畏印(せむいいん)で、「恐れなくてもいい」というメッセージ、

そして左手は与願印(よがんいん)で、「願いを叶えてあげよう」というメッセージだといいます。

人々の願い、不安を受け入れてきたためか、遥かなエネルギーを感じました。

神仏はすべての願いを叶えてくれ、悩みを解消してくれるのでしょうか。

その考え方は、他者依存的ですよね。

わたし自身は、神仏は自分の鏡となってくれる存在だと思います。

自分と対話するための手伝いをしてくれる存在。

様々な悩みや願いを拾い上げ、洗い出すことは、結局のところ自分自身しかできません。

私は改めて誓いを立ててきました。

自分を満たし、他人を満たす

逆はありません。

自分を満たせない人間は、他人の満たしかたが、わからない。

メサイアコンプレックスは、前半のステップを飛ばした人間の行動なのでしょうね。

見返りを求めた行動はしんどい。なぜならば、相手の行動はコントロールできないから。

「こんだけ相手に尽くしたのだから、○○されて当然だ」

相手は必ず自分の求めた報酬をくれるでしょうか。わかりませんよね。

自分に自身がない人は、まずそれを認め、受け入れることから始めましょう。

良い自分も悪い自分もOKと言えるようになることが大事ですよね

自戒も込めて。

そんなことを大仏様をみて考えてました。

次は大台ケ原へ。

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